Welcome to our Web Site !

井手山岳会日本支部

                                                                       P12050305


ホーム | 次回山行案内 | 写真集トップ | JapanOB/OG |参加者募集 | 掲示板


 

271回:井手山岳会日本支部登山のご報告  

期日:201253()5日(

 

行き先【尾瀬/尾瀬ヶ原】 

 

コースタイム:

上越新幹線「大宮」駅[734とき305]〜「高崎」駅[808/8:24上越線]

「沼田」駅[911/9:25発 大清水行き(バス2100円)]〜大清水[11:02/昼食/11:55]

一ノ瀬休憩所(未だ休業中)[1305/13:10]P1[1413/14:18]〜稜線[1427]〜三平峠[1454/14:57]

三平下[1515]〜長蔵小屋[1545/]

 

長蔵小屋[雨止んで10:15]〜橋[1020]〜斜面を上がる[10:35]1801m峰近く[11:12/11:15]

西へ戻り尾根へ上がる[11:42]引き返す〜長英新道[11:58]〜長英新道登山口[12:11/昼食/12:55]

大江湿原分岐[13:15]〜平野家の墓[13:21]〜長蔵小屋[13:45/]

 

長蔵小屋[5:45]〜長英新道登山口(上着脱ぐ)[5:59/6:02]〜沼尻休憩所[6:40/朝食/7:13]

白砂田代[7:33]〜(登り口探す)〜白砂乗越(白砂峠)[8:03]P2[8:21/8:25]〜イヨドマリ沢[8:44]

燧ケ岳登山口[9:00]〜見晴[9:14/coffee break/9:45]〜竜宮小屋[10:11]〜東電小屋分岐[10:14]

テラスベンチP3[10:35/10:43]〜牛首分岐(靴下履き替える)[11:03/11:13]〜山ノ鼻[12:00/軽食/12:26]P4[13:14/13:18]〜鳩待峠[13:40/13:50タクシ-]〜戸倉「戸倉の湯/尾瀬温泉」[14:08/入浴500/15:05]

鳩待峠バス連絡所[15:12発バス]〜上毛高原駅(バス2550円)[17:02/17:22(新幹線MAXたにがわ422

14号車自由席)]〜「大宮」駅[18:15]

 

 ルートマップはこちら     高度記録はこちら

(提供 Konochan

 

<1日目>

 今年のゴールデンウィーク企画山行は、前半しか来られない人と後半が都合のいい人で二手に分かれたので、前半は「マンマミーア山行(女子会)」、後半が今回の「井手山岳会公式山行」となった。前半はピーカン、2日間とも雲一つ無い快晴だったが、後半は雨が懸念され、隊長から「トランプや、UNOを持ってきてください。」と連絡が入っていた。

 今回は長蔵小屋に二泊して燧ヶ岳アタックの予定だったので、1日目は大清水から三平峠経由で入った。林道は、一ノ瀬の手前くらいから雪で埋まっていた。三平峠は、個人的には、大学の時と社会人になって間もなくと2回来たことがあった。岩のごつごつした急登で、ハアハア息が上がった記憶がある。筑波山の岩ごつごつを登った時も「三平峠みたいだな〜。」と思い出したほどだ。しかし、今回登ってみたら累積登高差600mほど。さほど苦もなくあっという間に稜線に上がってしまった。

  今日は登りながらずっと傘が手放せなかった。雪はザクザクで、気をつけないと時々踏みぬきそうになる。凍っていないからアイゼンは着けずに進んだが、ストックは必須。隊長はスノ―シュー持参なので、フル活用。私たちがツボ足で半分筋肉トレーニングをしているような時にも、沈まずサクサク前進することができていた。「スノ―シューって買うといくらぐらいなの?」「370004万円かなぁ。日光高嶺高原でレンタルスノ―シューを履いて雪遊びしたことはあったけれど、なかなか買えないよね。」

ぐさぐさの雪。「雪はひと雨で10cmくらい解けるんですよ。」と竜宮小屋のおじさんが先日教えてくれたが、ここ2〜3日長雨が続いているのでかなり解け進んでいるのだと思った。稜線を進み、三平峠を通過して尾瀬沼まで緩やかに下りていくころには雨は止んでいた。歩きながら(29日に渡れなかったイヨドマリ沢は渡れるようになっているのでは?)と期待。そして、(燧ヶ岳のナデッ窪は岩が露わになり、急坂をシリセードはできないのではないか…?)などと心配もしていた。突然、「わあ〜!」アヒルちゃんの声で視線を上げると目の前に広がる尾瀬沼は霧にけぶって幻想的な雰囲気。「数年前、副隊長とここに来た時、この世にこれほどきれいな景色があるなんて!と思ったんだよ。」と隊長。燧ケ岳はけぶって見えなかったがそれでも、尾瀬は美しいと思った。

三平下から長蔵小屋までは幻想的な尾瀬沼を楽しみながらゆっくり進んだ。鳩待峠周辺の水芭蕉はまだだったが、長蔵小屋の前にはびっしり水芭蕉が群生していて感激した。パノラマ写真でも撮ってみた。

長蔵小屋は思ったより空いていて、ひと部屋に一人で泊まっている人もいた。温かいお風呂に入れて幸せな気分で一日目は終わった。夕食の頃、また雨が激しく降り出し、まるでバケツをひっくり返したような勢いだった。

 

<2日目>

朝4時半ころは雨が止んでいたが、朝食ころまた降り出し、止むのを待っておしゃべりしたり朝寝したりしていた。ところが9時半過ぎに、ぱたっと雨がやんで薄日が差してきた。「うれしい!」アヒルちゃんはかけ出して尾瀬沼の水芭蕉の写真を撮りに。「さあ、燧ケ岳に向かって出発しよう。」「ラジャー。」ささっと身支度をして10時15分に出発した。長蔵小屋に連泊なので、不要な荷物を置いて行けるのがありがたい。

  小屋を出ると燧ケ岳が「おはよう!」と呼んでいるようだった。尾瀬沼側から見る燧は、尾瀬ヶ原側から見た姿よりややスリムに見える。橋を渡り、尾瀬ヶ原の面から一段上の登山道の面に雪道を上がって行った。ここで登山道通り尾瀬沼沿いを進んで長英新道登山口から入るのでなく、三角形の一辺を通ってショートカットして長英新道に途中から乗っかろうともくろんだ。ところが、そこは侮れず。溶岩ごつごつの燧ケ岳の地形は複雑で、地図の等高線で表しきれないような小さな尾根と沢が入り組み、長雨で先人の踏み跡も全く消え、雪解けの凹凸が踏み跡と見まがうようなところもあって、長英新道がなかなか出てこない。どうやら長英新道と並行に進み、やや北東にそれてしまったようである。1802mの無名峰らしき地点に到着してアユラシのi-phoneのGPSで大体の現在地を確かめてから西に進んだ。ところが、この辺りは南の尾瀬沼に向かって南北に沢が刻まれているせいか、西に最短で行こうとすると谷と尾根をまともに幾つも越えなくてはならない。うまく尾根を斜めにトラバースしながら長英新道に接して行く方法はないかと隊長が苦心してくれているのがわかった。いつも登りでは無口になり、下り勾配になると途端になめらかに冗談が湧いてくる、ムードメーカーの凸さんもさっきから少し口数が少ない。時間はどんどんすぎるし、肝心の燧ケ岳は朝の一瞬の晴れ間以外ずうっとガスの中。下山のことも考えると時間的にも厳しい。「燧は…今日はあきらめよう。」11時42分に決断し、尾瀬沼方向(南)へ下りることになった。

  戻り始めてから15分ほどで長英新道に突き当たった。乗っかってみると長英新道は「これでもか」というくらい赤ペンキと赤テープだらけの道だった。尾瀬は夏には木道が敷かれているから迷いようもないが、踏み跡の消えた雪の中では20mずれて道を見失うと全くわからなくなってしまうということも改めて思い知らされた。コンパスも地図も持っていて自分の現在位置が大体わかってはいても、だ。隊長は燧ケ岳に登らなかったことを済まながっていたが、山頂の悪天候と、ナデッ窪でシリセードが滑らず岩の急斜面を下りなければならなかったことを想像すると、神様が「今日はやめておきなさい。燧ケ岳は逃げていかないから。」と、ストップさせてくれたのかもしれないなと思った。

  帰り道、燧ケ岳山頂は変わらずガスの中だったが、尾瀬沼周辺はまた薄日が射してきた。大江湿原に戻ってきて「このまま帰るのもしゃくだから、平野家の墓参りでもしてこようか。」ということになった。アヒルちゃんは図書館で見つけた平野長蔵さん親子三代と尾瀬にまつわる本を読んでいて、その話を教えてくれた。長英さんの息子の長靖さんと睦夫さんは二人とも三十代、二十代の若さで亡くなっており、その無念を思いながら合掌した。

  早く帰ってきた2日目の夜は長かった。親戚の訃報で下山しかけたアユラシが雪道でまた雨に降られ、三平峠への道がわかりにくくて戻ってきたので、5人で大貧民(トランプ)をすることになった。笑い話が次々口をついてなめらかに出てくる凸さん、頭脳派でしっかりカードを出し不動の大富豪になってしまうアユラシ、慎重に慎重を期してまじめに取り組み宝の持ち腐れになってしまうアヒルちゃん、一か八かあと先を考えずに出してしまって自滅する私、ひとの失敗や早まった行動にチャチャを入れてからかう隊長。それぞれの性格が表れておもしろかった。「長い夜」とはいっても、明日は早起きして尾瀬ヶ原横断の予定。消灯時間を守ってみんなよい子で眠りについた。

 

<3日目>

 三度目の正直、3日目の今日は、曇ってはいるものの天気は回復の兆しが感じられた。親戚のお通夜に行くアユラシは隊長の地図を借りて三平峠から下山、尾瀬ヶ原へは4人で出発した。一部雨で沢が増水しているかも…と小屋の人がアドバイスしてくれたが、そこも問題なく通過。沼尻にて食事ののち、見晴へと歩を進めた。だいたいどこもわかりやすく赤テープやペンキだらけなのだが、白砂田代では、峠越えの道がわかりにくく(雨で踏み跡がすべて消えているため)10分くらい探した。白砂乗越を越えたらあとは段小屋坂を緩やかに下っていく。向かって左を流れる沼尻川に沿って、崖のように切れ落ちたところもある。水場の手前のところでアヒルちゃんが滑り、両脚が左のクマザサに滑り落ちてヒヤッとした。私も雪解けの木道の上で派手に滑り、スッテ〜ンと尻もちをついた。今日はずっとアイゼンなしでストックだけで来たが、一歩間違えると雪の斜面を滑落しそうなところも2か所ほどあり、「アイゼンしてた方がよかったかもと思った。」とアヒルちゃんが言っていた。ゴールデンウィーク後半になり、この道も通る人が何人かいたようだが、やはり、(29日はたとえイヨドマリ沢が渡れたとしても、この崖沿いの道は難しかったなぁ、やはりあそこで引き返して正解だったな。)と思った。さて、前回鬼門だったイヨドマリ沢は、予想通り橋の上の雪はすべて解け落ち、スリップだけ気をつければ問題なく渡れた。

  イヨドマリ沢から30分ほどで見晴に到着、コーヒーを沸かした。そのころからぐんぐん天候が回復してきて、それにともなってどんどん雪も解けてきていると感じた。スノ―シューで雪の斜面を軽々と進んでいた隊長が、気温の上がってきた湿原では予想外のところで雪を踏みぬいてしまった。木道沿いのテラスベンチが頭を出していたので、そこで休憩、靴下を履き替えた。

  山の鼻に到着し、そこから鳩待峠まで最後のひと登りだ。快晴になった空をバックに至仏山が映え、「またおいでよ!」と私たちに微笑みかけているようだった。

 戸倉では、3年前もお世話になったタクシーの良秋さんが送ってくれた「戸倉の湯」で入浴、上毛高原から新幹線で帰り、〆は大宮駅前のおなじみの「いづみや本店」にした。顔見知りの店のおばちゃんが懐かしく、おばちゃんの方も隊長のことを覚えているようだった。(konochan

 

参加者:隊長、凸さん、アユラシ、アヒルちゃん、このちゃん

天候:1日目雨、2日目雨のち曇り夕方からまた雨、3日目雨のち曇り午後晴れ

今回の実働時間:12時間20分 (1日目3時間25分+2日目2時間45分+3日目6時間10分)

今回の累積登高差:(+)1,129(654m157m318m)
今回の踏破距離:38.8km7.3km+5.3km+16.2km

 

〜 以下クリックすると大きな写真がご覧になれます 

 

ゴールデンウィークだというのに大清水まで行くのは我々だけ

 

雨の大清水で出発の記念撮影。全員揃った珍しい写真?

一之瀬休憩所。勿論まだ閉店中。沼まで日帰り往復したいという軽装のカップルを説得して引きかえさせました

林道から外れて山道を登りはじめる

ところどころ木道が出ていて、下りはしんどいだろうな・・・と思う

雪に埋もれる三平峠。雪の量は以前とさほど違わない

 

天気が良ければ、ここは正に感動の入り口

本文中にある「副隊長とここに来たとき」をクリックして比べてみて下さい!

これもまた一興?なかなかその心の余裕はないか?

同じよな構図の写真が「副隊長とここに来たとき」にありますよ

良くは見えない燧ケ岳をバックに

長蔵小屋手前にある水芭蕉の群生

そのアップ

長蔵小屋夕食メニュー(初日)です

入浴を済ませて、これから夕食。気になるのは翌日の天気。あまり期待できそうにない。

翌日の朝食。外は雨ザーザー。二度寝を前提に皆さん食事しました

10時過ぎに天気回復?結果的には、この時だけでした

道を探している間は写真なし。本来の長英新道の入り口に戻ってきた

嫌がる皆を平野家の墓に誘導

長蔵小屋に戻ってきたところ。この後ドラマあり(本文参照)

三日目の朝長蔵小屋を出発。544

沼平付近。小雨が降り続き温度もあがらない

隊長の指先は真っ白になっていた

白砂乗越しを過ぎてホッテしているちころ

イヨドマリ沢の橋を慎重に渡るこのチャン。前回のリベンジを噛み締めているのか・・・

燧ケ岳登り口との分岐。当然のことながら夏場とは感じがまったく異なる

下田代十字路の弥四郎小屋の前でコーヒーのあと記念撮影

雪の尾瀬ヶ原を歩く

木道がすっかり出ているところも。至仏方面

燧ケ岳方面

再び至仏方面

帰る直前に晴れてくるなんて、悔しいですが、まったく晴れないよりはいいか・・・

はじめてほぼ全容を見せた燧ケ岳

あがり〜!鳩待峠へ到着。見よこの青い空!

大宮駅前。定番の「いづみや本店」へダッシュ!

 

 写真集トップへ